— メイロマさんインタビュー「『いまの日本』が当たり前じゃないと気づいてほしい」―「いま、日本で働く」ということ(3) (via jesuisunechatte)
(jesuisunechatteから)
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(jesuisunechatteから)
幸せにしてやろうとか、してもらおうとか、
与え合おうとか、
そんな奴らは結婚してもうまくいかないよ。
この人となら不幸でも構わない。コレ最強。
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(via godzillakingofthemonsters, doudesyo) 2009-08-03 (via gkojay) (via usaginobike) (via takojima) (via dotzonegreen) (via mukidashi) (via ibi-s) (via halusame) (via kasokeki) (via kasokeki) (via ak47) (via deepspeed) (via benewmeister) (via moonage) (via tomohiro9r) (via sevenstar25) (via flatmountain) (via plasticdreams) (via depamen) (via flatmountain) (via ryoz) (via mnak)
私が高校のとき、私は数学だけは成績が良かった。だから数学の授業で教師の話は全く聞かずに「大学への数学」をやったり、「数学セミナー」を読んだり、院試の数学の問題を解いたりして暇を潰していた。定期試験ではいつも授業の範囲を無視して解答していた。それゆえ、正解なのにバツをされて答案が返ってくることが多々あった。採点した教師が私の解答を理解できないからだ。
バツが不当だからと私は数学の教師のもとに抗議に行くわけだが、その教師はたいてい私の話を理解できず(その教師はFラン大学の出身だった)、仕方ないので私は数学の学年主任(その人は京大の数学科出身だった)のところに持って行って、その人に私の答案を採点した数学の教師を説得してもらうのが常だった。
しかし、あるとき、私はいちいち抗議に行くのが面倒くさくなって、抗議に行くのをやめてしまった。どうせテストの点数が95点でも100点でも成績が5段階評価の5であることには違いないし、まして、この数学の担任に採点の間違いを認めされたところでそれは自分にとっては何の益もないことだからだ。
いや、嘘だ。その話は正確ではない。もう少し正確に言うなら、「この担任が理解できようが理解できまいが、数学的に見て正しいものは正しい」と私はある日、気づいたからだ。その担任の鼻を明かし、私自身の矮小なる自尊心を満たしたところで仕方がないのだと気づいたからだ。
そのことに気づけたことは、私にとってまさに僥倖であった。ああ、それこそが数学なのだと思った。数学的な“正しさ”が、個人の感覚や判断などに依拠してはならない。論理的に正しいものは正しいものとして存在しなくてはならない。誰かに理解されようが理解されまいが、正しいものは正しい。そして、自分は正しいものだけをしゃにむに追求していけばいい。それこそが学問なのだ。
何故、私はそのことに気づけたのだろうか?
それはたぶん「ペアノの公理」の定義を私が初めて見たときからだ。その定義を見て、私は何故か涙が止まらなくなった。それは自分でも訳がわからない体験だった。
高校生でも多分名前ぐらいは知っていると思うのだけど、ジュゼッペ・ペアノという人が1891年に「ペアノの公理」を定義して自然数全体を公理化した。数のなかで一番根源的な存在である「自然数」が公理化できるということそれ自体が数学の“健全性”(正統性)を示唆しているとそのとき私は思った。
涙がとまらなくなった理由は、いまにして思えば、きっと「ペアノの公理」が「自分はこの数学の世界に棲んでいていいのだ」という安心と安らぎを与えてくれたのだと思う。「ペアノの公理」こそが自分の存在を肯定してくれ、「自分なんて死ねばいいのに」と思っていた私を「自分なんて死ななくてもいいのに」と思わせてくれた。「ペアノの公理」が「自分がこの世界に生きていていい」ということを担保してくれているように私には思えたのだ。
誰かに理解してもらう必要なんてない。教師や友達に自分のことをわかってもらう必要はない。自分は自分が正しいと思う道を、自分が正しいと思うやりかたで突き進めばいい。数学の教師が一人もおらずいや人類さえもが地球上に誰ひとり存在しなくとも自然数は荘厳とそこに存在しているように、誰ひとりあなたのことを理解していなくとも、あなたはいつも正しく、そして、あなたはこの世に存在していて良いのだから。
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そろそろ死にたくなってきた人に捧げる雑文 - やねうらお-よっちゃんイカを食べながら、息子語録を書き綴る (via inujita)
ええはなしや・・・(しかしなんで数学できる人ってちょっと社会性に問題がないとはいえないかんじの人が多いのだろうかw
(via odakin)(edieeleeから)
粘り強さ
カルビン・クーリッジ大統領はこう言った。
「この世に粘り強さに勝るものはない。才能も。才能があって失敗した人は数知れない。天才も。報われない天才は、語り草になっている。教育も。世界は高度な教育を受けたホームレスで溢れている。粘り強さと決断力が揃えば万能だ。「続けよ」のスローガンは人類の問題を解決し、これからも解決していくだろう」。
そして1995年、スティーブ・ジョブズがこう付け加えた。「私は、成功した起業家とそうでない者を分けているものの半分は、純粋な粘り強さであると確信している」。
"— マーク・ザッカーバーグ、6つの成功要因 (via nubonba)
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かおるたんぶら。, みんなが寛容になった世界 多分寛容になれない人は全員殺されてる (via nemoi)
これうちの父も言ってた。真理だとおもう
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